細いワイヤー線の先端が壁をえぐる。
ぱらぱら、と頭上から欠片が降りかかり、右目を瞑った。

 「 エレン・イェーガー!遅い! 」

数メートル下から怒号がする。
腕の間から様子を伺うと、どうやら怒号の主は分隊長らしいことが判った。
こちらを仰ぎ、まだ何かを叫んでいる。

  ( 誰のせいだよ )

分隊長の横で、腕を組んだまま鋭い眼光を向けてくる男をにらんだ。
右目に違和感を残したまま、ガスを噴射した。


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 「 おつかれさま 」

目の前に置かれた紅茶の湯気の向こう側にペトラさんの顔が見えた。
カップに触れると、その温かさが身体に染みいるのがわかった。

 「 ありがとうございます。 」

うまく笑顔を見せられているだろうか。

大人ってのは、すぐに見抜く。
そして何食わぬ顔をするから、ずるい。

ペトラさんが立体機動装置について教えてくれている間も、
俺の全身の気は右斜め横に座っている、その男に向いていた。
とても静かに紅茶を飲むその仕草のひとつひとつとは裏腹に、速くなる俺の鼓動。

 ( っ …だっせ、 ガキかよ )

目の前がぐらり、と大きく傾く感覚がした。
いつの間にか冷めたカップと座っている木の椅子が、自分の体温を奪っていくようだった。

 「 ちょっ、エレン 顔色悪いよ? 」

気付いたペトラさんが顔を覗き込んできた。
体中の水分が引くのを感じる。指先の皮膚も硬い。

 「 あ、 すすみません、 今日ちょっと疲れているみたいです 」

先に休みます、と、カップを持って席を立った。
さっきまで温かかったカップが今は重い。

洗い場へ向かう廊下を歩いていると、後ろに気配を感じた。
振り向かずとも判る。
手元のカップをぎゅっと握る。

 「 高いところに登って貧血でも起こしたか 」

ゆっくりと低く響く声。瞬時に周りの厚い石の壁に吸い込まれて消えた。
暗く長い廊下は、ふたりを閉じこめているようで。
大きく唾を飲み込んで喉を潤す。が、出てきた言葉はひどく乾ききっていた。

 「 ご 心配おかけし、申し訳ありません!明日の遠征は問題なく出られますので、だから 」

言葉が途中で途切れてしまったのは、俺のせいではない。
目の前の彼が、彼の指先が、俺の左胸に触れていた。
皮膚を一枚へだてた先では、不規則な動きについていけていない俺の心臓がいた。
酸素を吸うため開けた口も空しく、空回りに終わった。

 「 己もコントロール出来ないガキが壁外で戦えるとでも思っているのか? 」

 「 っ… 」

触れているところが熱い。体中の細胞が泡立っているようだ。
この人は気付いている。
俺の視線も、息づかいも、震える鼓動も。
窓が揺れる音がする。何かをけしかけるように足下で風が鳴る。

 「  兵長、おれ 」

俺に触れたままだった彼の手を掴む。持っているカップより冷たかった。
まっすぐに見る、彼の眼差しが刺さる。
それをかき消すように唇を噛んだ。

 「 おれ、もう 」

酸素が薄い。
自分の心臓の音で身体が壊れそうだ。

 「  エレンよ 」

その声はまるで地鳴りのように重く、風に掻き消される程に小さかった。
思わず肩がビクついた。

「 明日の陣形は頭に入っているか? 」

彼はゆっくりとまるで独り言のように呟いた。
ほんの数秒前まで膨れあがっていた感情で 溢れそうになっている俺は、
瞬時にその言葉の意味が理解できなかった。

 「 じ、じんけい、ですか 」

何とか応えようと絞り出した返答は、情けなく足下に転がった。

 「 壁の外では計画通りにならないことの方が多い 」

まるで業務連絡をするように流れる彼の声。
どこかでまた風が鳴る。

 「 この手が、明日には巨人どもの腹の中かもしれねえ 」

 「 っ… ! 」

掴んでいた手が、掴まれた。
近くで見る肌の白さにぞくりとした。
廊下のたいまつの明かりが、グレイの瞳に何重にも入射して、その色を変える。


今、目の前にいるこの男の事を、
とても綺麗な人だと、思った。


 「 へ、兵長 … 」

掴まれた手が痛い。
それに気付いた彼はあからさまに舌打ちをした。

 「 そうならない様に気を引き締めろ 」

早く寝ろガキ、
そう言うや否や、突然解放された手。
くるり、と背を向けた彼の背中を、ただその場で見送る他無かった。
突然に行き場を失った手が、虚しい。

その時、戻っていく彼が背中越しに何か言うのが聞こえた。

強い風が俺の後ろから彼を追いかけるように吹いたが、
俺にははっきりと聞こえた。




 「 お前は俺が守るから 」



風がやむと同時に戻った廊下の沈黙。
その場の気温がぐっと下がった気がして、身震いをした。
多分、しばらく立ち尽くしていたのだろう。
すっかり冷えたカップ。

俺は洗い場へ向かうべく廊下を歩いた。
しかしその間幾度となく、
フラッシュバックのようにチラつく映像を何とか追い払おうと首を振るはめになった。
白い肌、灰色の瞳、冷たい体温。
さっきより具合が悪い。





 ( やっぱり、大人って ずるい )














fin*














○あとがき○
進撃の巨人ものとしては初めて書いたお話です。
話の中で風が吹きすぎ。穴でも開いてるのかな?

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